大誘拐

天藤 真/著
東京創元社


第32回日本推理作家協会賞の長編賞受賞作。また、週刊文春の「20世紀傑作ミステリーベスト10」国内編第1位にも選ばれた、「誘拐もの」の最高傑作です。

3人組の誘拐犯に、紀州の山林王である大富豪の当主・柳川とし子刀自(とじ)が誘拐され、百億円という桁違いの身代金が要求される — 執筆されたのは40年近く前で、当然ながらインターネットも携帯電話も出てきませんが、生き生きとした登場人物たちや奇想天外なプロットは、今読んでもまったく古臭さを感じさせません。

何が面白いかと言うと、この誘拐劇の裏事情です。誘拐犯である若者3人は当初、身代金に五千万円を要求するつもりだったのですが、その金額を聞いた刀自は激怒。高すぎるのかと思ったら、なんと「安すぎる」!「端たは面倒やから、きりよく百億や。それより下で取引されたら、末代までの恥さらしや。ビタ一文負からんで」と言い放ち、誘拐犯たちを唖然とさせます。

その辺りから刀自が主導権を握り始め、潜伏場所から連絡方法、身代金の受け渡しに至るまで、何故か人質が的確な指示を出して誘拐犯たちを手足のように使い、警察やマスコミまでもが掌の上で転がされる様はまさに痛快。根が素直でお人よしな、どうにも憎めない誘拐犯たちと一緒にどういうこっちゃと首を傾げるうちに、読者も刀自の人間的魅力に取り込まれていきます。

なぜ刀自は誘拐犯たちに協力したのか、なぜ百億円でなければならなかったのか — この小説最大の「謎」はそこにあります。

暴力も殺人もなくてもミステリーは成立するのだと証明するかのような小説です。誰も死なず、傷付かず、憎むべき悪人もいません。身代金の行方や誘拐犯たちのその後も含め、心温まる後味さわやかな読後感が味わえます。

丹波市立中央図書館 足立 智美